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2009年1月

会社法は背骨のない肋骨だらけの法?

 昨日、法律に詳しい人と話をする機会があったので、会社法について質問してみた。

 「会社というのはこうあるべきだ、という考えのもとで作られたのではないか」

と尋ねると

 「いや、そうではない。ガバナンス(ここでは“規制”ぐらいの意味か)を強化したい法務省と、自由な経済活動を推進したい経済産業省、それに中小企業庁や各議員の思惑などが複合されて作られたのだ」

ということだった。

 つまり、理念という背骨はなく、様々な人(主に官僚)の思惑という肋骨だけがやたらあると思えばよさそうだ。

 「会社法」というひとつの大きな括りの中で、整合性の取れない箇所がいくつもあって腑に落ちないままでいたが、なるほどそういう作り方をされていたのであれば納得がいく。

 会社法の勉強は、まず全体から把握するという考え方を捨てた方がよさそうだ。

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自己株式の“自己”は誰?

 くだらないことほど気になるもので、「自己株式」の「自己」が、(株式を発行した)会社自身を指すことに違和感を持っている。

 そもそも「自己株式」とは、発行したけれど株主の手には渡らず、会社内部に留まって(留まらせて)いる株式のことを指している。

 しかし、会社の所有者は株主である。その株主の手に渡ってない株式を「自己」とネーミングしていいものだろうか?

 英語を調べると、treasury stock とある。訳は、「金庫株、自己株、社内株」となっている。要するに会社内に留保されている株のことだ。「金庫株」あるいはいっそ「留保株」とでもした方がいいように思う。

 現在「金庫株」という言葉も使われてはいるが、聞いている限りでは「自己株式」の別名のような扱いのことが多い。本来は逆のような気がする。

 会社を所有しているのは株主である、という考えが薄れてきている表れと言うと言い過ぎか。

 「自己株式」の話はそれはそれで措くとして、勉強をしていて思うのは、どうも全体的な統一感のあるネーミングの仕方がされていないことが多いということだ。

 以前笑い話で、地球物理学者と海洋学者は会話がかみ合わない、という話を聞いたことがある。お互いが独自にネーミング(もしくは海外からの翻訳)をしているせいで、相手の使っている単語が何を指しているのか分からないためらしい。

 経営に関してはそれほど深刻ではないようだが、各分野をひっくるめて勉強しようとするとちょっとずつ目につくところが出てくる。

 もっとも、言葉というのは自然発生的に出てくるものであると考えれば、そもそも統一性のとれたネーミングをすること自体無理があるのかもしれないが。ただ、勉強をする方の身としては、できるだけ統一してほしいと思う。

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バングラデシュへ旅立つ友人と会った

 友人に写真家の卵がいる。

 その彼が今月末から45日間バングラデシュに旅立つとのことで、今日会ってきた。

 いろいろ苦労あってようやく行けるらしい。そのチャレンジ精神は見習いたいと思う。

 バングラデシュは他のアジアの国に比べると物騒なニュースを聞くことは少ない。

 だが今は、世界で安全と言える場所はないだろう。

 無事を祈りたい。

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出版物の販売金額の推移を調べた

 ふた月に1回、出版関係の勉強会に参加している。

 1月は、この1年がどうなるかの予想を発表しあうのが恒例になっており、今日はその宿題に手をつけた。

 調べてみてびっくりしたが、雑誌の販売額の落ち込み方が激しい。ここ2年は対前年比95%を繰り返している。ネット情報の隆盛、少子化、中小書店の廃業、など原因は様々だろう。外的環境だけでなく、製作する側の疲弊といった内的環境の悪化もあるだろう。

 出版業は、単に前職で就いていたからという以上に今でも愛着を感じているが、ますます厳しい状況になっていることを改めて知った。

 勉強会は優秀な人たちが集まっているので、今月の会でどんな予想と意見が出てくるのか、今から楽しみだ。

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「会社法の基本を問う」を読んで

 昨年の本試験では経営法務で会社法がらみの得点率が20%しかなかったこともあり、改めて会社法について頭の整理をしようと思っている。

 ただ、学校のテキストを読みなおしても市販の解説書を読んでも、どうも頭がすっきりしない。「要するに○○である」という風に自分の頭の中で知識を再構築できないことが多い。

 そんな時に書店で目をひかれたのが、「会社法の基本を問う」(稲葉威雄・著、中央経済社)だ。

 面白い。

 ただし、難しい。

 例えば株式会社の機関設計についてこんな文がある。「会計監査のみを行う監査役や会計参与の単独設置を認めておきながら、会計監査人単独の設置を認めないのはおかしい」(P81)。

 簡単に言えば、重要なポジションをセミプロに単独で任せることを認めておきながら、プロには単独では任せてはいけないことになっている、そんなことはおかしいのではないか、と言っているわけだ。

 機関設計については様々なパターンがあり、その自由化が会社法のウリなのだが、あまりに複雑で覚えるのがやっとである。覚える作業をしつつなんとなくしっくりこなかった部分をきちんと言い当ててくれてすっきりした。

 他にもたくさんあるが、読んでるこちらが中途半端な知識しか持ち合わせていないため、ここで抜粋すると枝葉末節なことしか言えない恐れがあるのでやめておく。

 著者の稲葉さんという方は、会社法作成の初期の頃に携わったことがあるらしく、とにかく詳しい。また専門の法律家らしく、文章を読みこなすのは素人にはなかなか難しい。そもそもこの本の元の原稿は「企業会計」という専門の雑誌に連載されていたものらしい。

 この本は、会社法の知識がまだ身についていない人間が読むと、会社法を学ぶ意欲が失せてしまうかもしれない。なので、今の段階では「会社法はもともとが分かりにくいんだ。点が低かったのは一概に自分の頭が悪いからじゃないんだ」というなぐさめの道具にでもしておく方が適当かもしれない。

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ポニョの舞台鞆の浦を訪ねた

 帰省先の山口から東京に戻る際、広島県の鞆の浦を訪ねた。

 鞆の浦は、昨年大ブームになった映画「崖の上のポニョ」の舞台となったところだ。

 行こうと思った理由は、話題の場であることがひとつと、もうひとつは景観論争が起きている現場を見ておきたかったことがある。

 以前一度訪ねたことがあるが、それはもう18年も前(1991年8月)であり、その時はまだ観光地化もされておらず、どんよりとした空の下、強い風にあおられながら、とぼとぼと古い街並みを歩いたものだ。

 今回はポニョ効果もあり、適度に観光地化されていたものの、まだそれほどでもなく、ゆっくりと歩くことができた。

 景観論争は、街の中の交通渋滞を避けるために海を埋め立ててバイパス(道路)を作られそうになっていることが発端となっているようだ。港の真ん前を大きな橋がふさいでしまうことから、万葉の時代から景観を愛でられてきた地としては無粋極まりなく、地元の人はおおいに反対しているもよう。

 実際のところ、計画は30年前に立案されたものらしく、今になってなぜ着手に及んだのかよく分からない。少なくとも現時点では街の中に渋滞は起こっておらず、今後も渋滞する見込みはないようだ。

 歩いてみると、昔ながらの港町らしく道はせまい。だが半島の突端にある小さな町に、膨大な交通量が発生するものなのか疑問に思えた。訪ねたのは1/4(日)だったため、通常期とは違ってのんびりしたムードがあったかもしれない。

 あくまでも一旅人の感想だが、乗り入れ規制や一方通行の道を増やすなどして対応できるもののように思った。

 でっかい箱物を作ることに意義を見出しにくい時代となっている。本当に渋滞緩和が目的であるならば、他に手を尽くしてみていいように思った。少なくとも、地元振興を旗印にして実際は地元の土建業者をうるおすのが本当の目的、なのでないことを祈る。

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